VIVA★63

アラフォーデザイナー@サイゴン

初めての海外旅行でタイでバックパッカーしたときの記録 2001

 

「旅人」という名前の友人がいた。
彼は、名前の通り毎年のように海外を一人で旅している。
夏休み明けには、必ず彼の行ってきた海外の写真を見せてもらっていた。
タイ・インド・チベット・中国・・・。
当時は、SNSなんかなかったから、もちろん現像した写真だ。
僕が海外への関心を強めていたのは彼の影響が大きいだろう。

2001年の夏休み。
バイトの合間をぬってはじめての海外へいくことにした。
行き先はタイランド
日本から近く、物価も安いタイは面白いと「旅人」という名前の友人から聞いていた。

2001年9月3日(月)チェンマイ→パイ

空港からシーロムへ行くバスで日本人と出会う。ニュージーランドから来たらしい。
シーロムについたが、夜中でわけわからんので、とりあえずガイドブックにあるホテルに泊まった。
一泊1300バーツは高かった。

2001年8月30日(木)アユタヤへ

シーロムからサイアムスクエアへ出てみた。そこで、日本人観光客に声をかけ、一緒に食事した。
日本語のうまいタイ人がいたが、1食300バーツは高い。
サイアムスクエアからファランポーン駅へ、バイタクを利用してみた。40バー

アユタヤへのチケットは15バーツ。安い。
アユタヤ駅で日本人の女の子に知合い、その子に連れられてJBゲストハウスへ。
日本人がたくさん泊っていた。

夜は、そこに泊まる日本人とノルウェー人とフランス人と10人位でローカルの店に飲みに出かけて、夜2時位まで飲んでいた。
周りの英語力に脱帽。自分は全然喋ってない。
しかし、2日目にして旅らしくなってきた。

2001年8月31日(金)アユタヤ

この日は、自転車をレンタルしてアユタヤの遺跡郡を見て回った。
素晴らしい景色と遺跡にテンションが上がった。
しかし、日本人が多い。

4時ころJBゲストハウスへもどり、新しく来た日本人と話していた。
その後、フランス人のおにーさんに誘われて数人でタイ料理を食べに行った。
かなり食べて飲んで、90バーツは安いし大満足。初日と2日目に無駄遣いしたのが悔やまれる。

その後ネットカフェに行くと日本人2人組に出会った。
彼らと他の店で飲み直した。
なんとこの2人は、僕と同じ大学で学部も同じだった。
かなりショック

2001年9月1日(土)アユタヤ→ピサヌローク

BJゲストハウスで知り合ったKさんとともにバスでピサヌロークへ向かった。
バスに揺られること5時間。夕方の5時ころピサヌロークに着いた。

しかし、この街のゲストハウスがどこにあるのか全くわからない。
しかもこの街の住民には英語が通じない!
それでも身振り手振りで聞いていたら、若いタイ人のおにーさんがホテルへ案内してくれた。
きれいなホテルだったが、それほど高くなかった。

しかし、このピサヌロークはいい街だ。観光客が少なく、静かなので落ち着いて街を歩ける。
ナイトバザールで知り合った日本人カップルは、150万円という予算で東南アジアを旅しているそうだ。自分もいつかそんな旅をしてみたい。

2001年9月2日(日)ピサヌローク→チェンマイ

Kさんと共に鉄道で北上しチェンマイへ向かった。移動時間は7時間。
チェンマイにつくとシングルルームで100バーツ。しかもかなりキレイなPETER’S GUEST HOUSEに泊まった。
そこで、日本人女性2人と出会った。

その2人とKさんと僕、4人でイタリア料理を食べに行った。
タイに来てからタイ料理しか食べていなかったので、これはうれしかった。しかもうまかった。

古都チェンマイは、落ち着いていていい街だ。景色もきれいだ。
チェンマイから北上するとミャンマーの国境があるのだが、Kさんはそのルートをとるようだ。僕は彼と一緒の行動にも飽きてきたし、違うルートを取ることにした。

というか、お互い一緒に行動するのに飽きていたのが、本音。

2001年9月3日(月)チェンマイ→パイ

昨日知り合った日本人に「パイ」はいい街だという情報があったので行ってみることにした。
チェンマイのバスターミナルでKさんと別れ、パイまでバスで4時間。山の道のりはバスに揺られているだけで疲れた。
パイはすごく良いところだった。街というよりも村といった方が良い規模。

すごくのんびりしていて、欧米人が多い。
アメリカの地方はこんな感じなのだろーなと勝手に思ってしまった。
この日の宿は、BIG GUEST HOUSE。なぜかイスラエル人が多い。

街をブラついているとMonky Magicというレゲエのバーを発見。ここのオーナーは日本人で話をした。
話の中で、「山の上から見える夕日がキレイ」ということで行ってみることにした。
山を登っていくといい感じのサウンドが聞こえてきたので、その音に誘われて建物に入ってみると、日本人と欧米人を楽器を持ってジャムっていた。カッコイイ!!

そこからさらに歩いて寺まで20分位。
最後に寺の階段を登っていくのはしんどかったが、たしかにそこからの景色は絶景だった。

が、今日は雲がおおくて夕日が見れなかった。

景色を眺めていると、グラサンをつけた寺の坊さんが現れた。
特に何も言われなかったが、話しかけてみるものの、返事は全て「OK!」。

変な坊さんだった。

この日の夜は、レゲエバーのMonky Magic。オーナーさんと話していた。
ゲストハウスに戻って寝ていると、「イ~ズラエ~ル」と歌っている声が聞こえてきた。

これは、ちょっとキモかった。

2001年9月2日(日)ピサヌローク→チェンマイ

パイ2日目。いまの宿BIG GHはいまいちなので、川辺のゲストハウスを探すことにした。
やってきたのは、BANN TAWANゲストハウス。

1泊150バーツはちょっと高いが、部屋がバンガローでトイレ・シャワーつきなので即決。
この日は、チャリを借りて温泉へ出かけてみた。
とにかく、山をチャリで登るわけだから辛かった。
温泉までの約20分でヘトヘトになってしまた。

そこでもまた日本人に出会った。日本人女性とタイ人男性の二人組。
タイ人は日本語が話せて、見た目はチューヤンぽかった。

「カオサンでまた会うかもね」と行って別れた。

温泉は最高に気持ちよかった!1時間位ゆっくりしてしまった。
夕食は、Monky Magicで教えてもらったインド料理屋へ。
美味しかったが、タイに慣れたせいか、もう少し辛さ希望。

お店のお兄さんが、ドイツ人のお姉さんとボードゲームをしていたので、僕も混ぜてもらった。
Scrableというゲームで、Wordをつなげていく遊びだ。

大学に入ってから、まともに英語を勉強していない自分には大してボキャブラリーがなく、ほとんどできなかったが、なんだか楽しかった。
夜はBebapというライブバーに行った。酒は高かったけどライブも美味いし居心地が良かった。

ブルースの良さを初めて知った。

2001年9月5日(水)パイ→チェンマイバンコク

相変わらず8時ころには目を覚ます。
とりあえず街に出て朝食だ。
甘いものが食べたく、バナナパンケーキを頼んだら、久しぶりに美味い朝食となった。

午前中はバンガローで本を読んだり、ボーっとしていた。ああ、ここにずっと居たい。
すっかりパイの街が気に入ってしまった。
しかし、今日はバンコクに戻らなくては。

昼食は、またインド料理屋へ。昨日のドイツ人がいて、話したり、ゲームをしたり、なんだか楽しい時間だった。
さて、パイも名残惜しいものの、チェンマイ行きのバスへ乗り込む。

チェンマイにつくとまず、夜9時発バンコク行きのバスチケットをゲット。
その後、前に泊まっていたゲストハウスへ行き、バスタオルの忘れ物がないか聞いてみると、出てきた。心よく返してくれたのがうれしかった。
夕食を食べ、バザーをみてからバスターミナルへ戻りバンコク行きのバスに乗った。

車内ではなぜか「SPEED」の曲が流れていた。

2001年9月6日(木)バンコク

バスは朝7時半ころバンコクのバスターミナルに着いた。
そのバスターミナル、中心地とかなり離れていて、カオサンに到着したのは9時ころだった。
とりあえず、カフェで朝食を食べながら本を読んで時間を潰していた。

すると、見たことのある女の子が道をよぎった。

パイの温泉で出会った女の子だった。
声をかけて話をしていると、その時一緒にいたタイ人に男にお金をすられたらしい。8万円も。
タイのチューヤンは良い奴そうに見えたのに、とんでもないヤツだった。

その子とその友達と話しながら昼まで過ごした。
それにしてもカオサンは好きになれそうにない。日本人が多すぎるし、なにより物価が高い。パイが恋しくなった。
この日は、SNSで知り合った女の子Mちゃんと待ち合わせしていた。

ファミマの前で待ち合わせて、お昼は和食の店に連れて行ってくれた。
食事の後は、Mちゃんに連れられてゲストハウスへ。初のドミトリー。
そこでシャワーを浴びた後は、漫画を読んだりしてなんともだらしない時間を過ごした。
夜はMちゃんと彼女の友人Y君と共にチャイナタウンへ。

中華料理は美味しかったが、高かった。
その後はバッポンへいき、Go Go Boyへ入った。
裸に近い男性がクネクネと踊っていた。あまり面白くなかった。

消化不良だと思いつつ宿に戻った。
やはり、カオサンは好きになれない。

2001年9月7日(金)バンコク

相変わらず8時に起き、そしてカフェへ。
カフェのメニューをみるとカオサンの物価高さを思い出す。パイが恋しい。
宿に戻りつい漫画を読んでしまう。

おれは何をしにタイにきたんだ?

昼食はマックへ。
そのあとバンコクの街をフラフラしているとタイ人のおっさんが寄ってきた。

僕が、「タイの映画が観たい」
と言うと、

「映画は夕方6時からだ。今日は政府がお金を出してくれて、10バーツでトゥクトゥク乗り放題だ。好きなところに連れて行ってくれるよう、おれが頼んでやる」
という。なんだか怪しい話だ。

「あんたはトゥクトゥクドライバーじゃないの?」
と聞くと

「おれは高校の教師だ」
という。その割には英語が下手だ。

そして、そのおっちゃんにトゥクトゥクでワケのわからん寺に連れて行かれた。
そこで、
「10バーツ渡すから帰っていいよ」
と言うと

「問題ない」と言うおっちゃん。

しかし、僕がしつこく言うもので、カオサンに連れて行かれて、10バーツ払って降りた。
あとで、カオサンの日本人に話を聞くと、その手口に引っかかったヤツがいて、300バーツ位ボラれたらしい。あーバンコク最悪だ。パイが恋しい。

タイ最後の夜は念願の「ムエタイ」を観に行った。
でも何試合も観ていたら飽きてしまった。

タイのおっちゃんたちは「賭け」に燃えていた。

夜10時半頃カオサンに戻り、バーで飲んだ。そこで出会った日本人とは話が合った。
飛行機が早朝発なので、そのまま空港へ。
そういえば、ゲストハウスをチェックアウトするときにトラブった。
チェックアウトの時間オーバーということで、何故か2日分多くお金をとられた。

バンコクは、最後の最後までいい思い出を作ってくれなかった。

あとがき

この旅の数日後、あの9.11同時多発テロが起きた。

当時、「その前に日本に戻ってきてよかったなぁ」
と思ったのを覚えている。

この記録を振り返ると、とにかく日本人との出会いが多いな。
たった10日間なのに、記録を読んでいるだけでその時の状況をいまでも思い出すことができます。
それだけ刺激的な10日間で自分の人生に大きな影響を与えた旅だった。(書いている内容は小学生の日記レベルだけど)
もし、この時タイに行かなかったら、今僕がベトナムにいることもなかったかもしれない。

 

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